所長ご挨拶

ご挨拶(所長 棚村 政行)
~ リーガル・クリニックに課せられた使命 ~

1 リーガル・クリニック開設の経緯

 弁護士法人「早稲田大学リーガル・クリニック」法律事務所は,日本におけるいわゆる「リーガル・クリニック」の第1号として,2004年に設立されました。「リーガル・クリニック」という名称は,固まった概念はありませんが,“臨床法学教育”を基礎として“社会的に特殊な使命”を帯びた「法律病院」として理解されているのが一般です。法律事件を処理することについては一般の法律事務所と同じですが,違うところは,必ずしも営利を目的とするものではないことと,大学の法曹教育の一環である「臨床法学」教育を実践する場所であることです。そのため,リーガル・クリニック法律事務所の運営・維持のためには,どうしても大学その他からの財政的支援が必要となります。
 
 この「リーガル・クリニック」を立ち上げるために,私たちは,2002年4月に,その設立母体となった「早稲田大学臨床法学研究所」を立ち上げ,約2年間,毎月1回の会議をもって臨床法学教育のあり方を模索し,リーガル・クリニック開設に向けて準備してきました。そして,2002年には,4月と9月の2回にわたって,ニューヨーク大学,イェール大学,ボストン大学,ハーバード大学,ヨーク大学(カナダ),カリフォルニア大学バークレイ校,ジョージタウン大学,ニュー・メキシコ大学のロースクールおよびそれらが併設するリーガル・クリニックを視察し,日本でリーガル・クリニックを開設した場合の問題点などを検討してきました。また,同年12月には,早稲田大学において,海外の臨床法学教育に携わっている学者を招いて,国際シンポジウムを開催しました。このような入念な研究と準備の下に,2004年に「弁護士法人」として,リーガル・クリニックを開設しました。

2 「法律病院」の2つの骨格

 では,どのような「法律病院」なのでしょうか。
 これは,上記で述べた2つの目的,すなわち,「臨床法学」教育と「社会的使命」堅持に尽きます。

(1)「臨床法学」教育の実践

 まず,リーガル・クリニックは,法曹の基礎教育としての「臨床法学教育」を実践するところです。「臨床」とは医学からの借用語ですが,医学教育は,大学での授業以外に,併設した大学病院の臨床の場面において患者を実際に診察・治療し,その観察結果を学問にフィードバックし,更にその研究成果を臨床の場面で実践するというシステムをとつています。法律病院においてもこのことは同じで,ロースクールの学生が,指導教授・弁護士の指導の下に,既に得ている法律的知識を駆使して,クライアントの相談を受け,法律的なアドバイスを行い,実際に事件を受任し,その経験を法知識の充実や法理論の構築に役立てます。このようにして,“生きた法律”を修得し,倫理性豊かな法曹を輩出します。

(2)「社会に対するリーガル・サービス」の提供(社会的使命)

 次に,どのような「社会的使命」を帯びているのかです。社会には,“法律問題で病んでいる”人々が,大変多くいます。権利や利益が侵害され,人権が蹂躙されていても,専門的知識がないために,または経済的困窮のために,法律相談に行くこともできず,訴訟の提起すらできないで,泣き寝入りしている例もきわめて多いのです。これらは,ひとつの社会問題ですから,「社会」自体が解決すべき事柄です。したがって,第一次的には,公的な法律扶助機関が対応すべきでしょう。しかし,社会問題の解決のために法律学を攻究し,高度な法曹教育を実践している専門大学院(法科大学院)もまた,「一定の範囲では」,社会に貢献することが要請されます。それが,リーガル・クリニックに課された,「社会に対するリーガル・サービス」の提供です。
 「一定の範囲」というのは,後掲の「リーガル・クリニックが扱う事件は教育目的から限定される」ということです。なお,このリーガル・サービスについては,法テラスなど公的な法律扶助機関と共通する課題であり,その協力関係が必要ですが,後に述べます。

3 リーガル・サービスの活動指針

 リーガル・クリニックは,「法律病院」として,以上のような重要な2つの骨格の上に成り立っていますが,リーガル・サービスの活動指針となるのは,以下の諸点です。

 第1は,「依頼者の限定」です。既に述べたように,リーガル・クリニックは,経済的困窮者を主に対象とすべきであって,弁護士費用などを払えないような資力のない人に対するサービスの提供だということです。資力があるなら,リーガル・クリニックに頼る必要はなく,一般の弁護士に依頼すればいいからです。

 このことから,企業の訴訟事件などは,原則として,リーガル・クリニックに適しません。ただし,リーガル・クリニックは,専門大学院として「政策提言」を行うことができる研究機関でもあるので,法律学的に研究する価値がある事件については,その視点から,法律相談を受けることはありえます。
そして,弁護士費用を払えないような経済的困窮者を対象としますから,原則として,無報酬であるべきです。ただし,コピー費用,通信費,印紙代などの実費は依頼者負担です。また,“勝訴”した場合には,依頼者からの大学またはリーガル・クリニックへの寄付はあり得ます。
 他方,地域密着型の法科大学院リーガル・クリニックでは,その地域との連携を重視し,その地域における法律問題を積極的に引き受けるべきです。例えば,過疎地帯での法科大学院リーガル・クリニックはそうあるべきですし,あるいは,特定の地域の商店街や自治会などとの関係も重視していく必要があります。その地域特有なまたは公益性の高い公害問題,生活妨害問題などについては,経済的困窮という枠にとらわれず,リーガル・サービスの提供を図るべきでしょう。

 第2は,「事件の限定」です。リーガル・クリニックは,教育・研究機関であるから,「教育・研究」目的に沿う事件でなければ受任してはいけません。したがって,法律相談の段階で,相談または受任事件をセレクトし,教育・研究目的から考えて,ふさわしくない事件は受付けるべきではありません。例えば,“単なる”詐欺・窃盗事件,“単なる”弁済請求事件,あるいは反社会的勢力が関係している事件などは,おそらく教育的・研究的価値は少ないはずです。要は,事件を,教育的・研究的「価値」のあるものに限定することです。
 また,先に述べたように,経済的困窮者に対するリーガル・サービスは,第一次的には,公的な法律扶助協会が対処すべきですが,「事件の限定」を前提として,リーガル・クリニックは,法律扶助協会と連携し,複雑な事件については法律扶助協会から引き受けたり,またリーガル・クリニックで受任すべきでない事件については,法律扶助協会に転依頼するという関係が必要となります。現に,NYU, Hale & Dorr Legal Services Center(ハーバード),Parkdale Community Legal Services(カナダ・オズグッド・ホール)でも,法律扶助協会と密接な連携の上で,事件の振り分け,受任を行っています。リーガル・クリニックと法律扶助協会とは,意義と役割とが異なるわけです。この関係を,NYUでは,「法律扶助協会(Legal Aid)は『順番』で事件を受付けるが,クリニックは,事件を『選択』する」,と説明しています。

 第3は,「先端的領域」の事件については,積極的に対応すべきことです。例えば,知的財産権事件,地方公共団体・公的機関の諸問題,国際難民問題,原発問題などですが,これら先端的諸問題については,大学は,まさに専門家集団ですから,他の法律事務所と比べてもその存在意義は高く,まさに「政策提言型」クリニックとして機能します。

 第4は,「授業」(教室)と「臨床」(経験)とのリンケージです。法律学が,“生きた法”となるためには,「法理論教育」と「臨床法学教育」とが,密接な関係をもって展開されなければなりません。大学医学病院と同じく,リーガル・クリニックは,“最先端の法律技術の集合体”であって,その技術を社会に提供し,かつ学問へ反映させるという仕組みの構築が必要とされます。

 第5は,教育機関として「高い倫理性をもった法曹を育成」することです。学生は,次の4で述べる「臨床」(経験)の場面において,依頼者から法律問題の相談を受け,必要な場合には,訴訟へと発展させます。この経験を通して,「法曹はいかにあるべきか」を学びます。「法曹倫理」は,法科大学院に課された人間陶冶の基本的課題ですが,これは,実践においてこそ修得できるものです。もともと,法律学とは,物事の善・悪,当・否など,一定の社会的規範のあり方を問題とする学問ですから,法律学の学習プロセスにおいて倫理性が自然と身につくことになりますが,より重要なことは,実際的経験によってそれを体得することです。

4 学生にとってのリーガル・クリニック

 学生にとって, リーガル・クリニックは,単なるエクスターン(インターン。教室外研修)ではありません。

 このことは,臨床法学教育が,実際にどのように行われているかを見れば明らかです。通常,学生(受講者)2~ 3名,研究者教員(弁護士),実務家教員(弁護士)の3者がセットになって, 1つのクリニック班を構成します。そこで,法律相談を受ける場合,フロントに立つのは学生であり,彼らがすべて依頼者との面談を行います(その前提として,学生は,依頼者の法律相談の内容についてある程度研究しています)。他の教員はサイドにいますが,その発言は必要最小限に留めます。その後,依頼者が一旦退席し,上記3者でもつて,法律上の論点や対応策等を十分に協議します。この場面では,教員側のアドバイスが中心となります。そして,再度依頼者に説明することになりますが,この場面でも,原則として,返答するのは学生です。

 このように,リーガル・クリニックにおいては,原則として,学生が最前線に出て,依頼者と面談し,法律問題を考え,かつ返答するというしくみが基本です。ここでは,悩みを持った人に対する接し方,面接の技法,複雑な法律的知識の説明など,様々な経験をします。これが,まさに「臨床」すなわち「経験」なのです。

 なお,学生は様々な箇所(弁護士事務所・企業・政府・公共団体・国際機関など)にエクスターン・シップに行きますが,このように,最前線に立って依頼者(関係者)に応対するということは,他の箇所では困難でしょう(事務処理の効率も悪くなり、また個人情報の取扱いの問題があるからです)。しかし,リーガル・クリニックは,このような制度として成立したものであり(依頼者は承知の上で相談に来る),反面,学生には,誓約書を書かせて(違反者は退学もあり得る),厳しい守秘義務を課しているため,理想的な臨床法学教育ができるのです。これが,大学が併設したクリニックの最大のメリットです。


 最後に,私たちは,このように,リーガル・クリニックにおいて,「依頼者との人間的なつながりの上で事件を理解」し,「弁護士活動とはいかなるものであるかを,経験によって教育すること」を実践していきたいと思います。
 リーガル・クリニックを受講した学生には,高邁な思想を持ち,人間性あふれる法曹になることを期待しています。